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 藤堂研究室
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新潟市都市政策研究所 Nicri

2008年10月〜2014年3月(研究所廃止まで)

客員研究員

(#閉鎖)プログ「虫の目・鳥の目・Nicriの目」

にいがた環境交通研究会

(2005年4月設立)

2005年4月〜継続中 代表

※新潟市市民活動支援センター登録団体

ホームページ

原則:毎月第2木曜日18時半より
駅南キャンパス 「ときめいと」 アクセス

にいがた原子力防災研究会

(2011年11月設立)

2011年11月〜継続中 代表

※新潟市市民活動支援センター登録団体

原則:毎月第4金曜日18時半より
駅南キャンパス 「ときめいと」 アクセス



<参考> にいがた原子力防災研究会のご紹介

活動目的

 にいがた原子力防災研究会は、東電福島第一原発事故を受けて、私たちの暮らしと安全を守る為には、原発の稼働停止のみでは不十分であり、核燃料等の核物質がある限り存在するリスクに対し、どう備え、行動してゆくべきか、考える事が必要だとの考えから設立されました。既存の原子力防災の体制は、その資金や設備人員を原子力利用の促進から得ているために、原子力利用推進が目的化しています。安全でない事が明らかになった原子力の利用が、利益関係者の意志で未だに促進されようとしている現状の理由もそこにあります。私たちは原子力利用促進の利益、利権システムから独立した市民科学の目線から原子力利用を止める事を前提に、その先の核防災まで考え、提案します。

 原子力利用の停止を前提とした原子力防災という考え方は、既存の原子力防災研究や体制が、推進前提のものしかない状況で、非常にまれです。しかし、事故や放射性廃棄物の処理管理を通じて放射線のリスクを一方的に蒙らざるを得ない市民の目線から、市民の暮らしと安全を確保する為に、共に学んで行きたいと思います。

活動内容

 研究会、勉強会、シンポジウム等の企画、運営。原子力利用の停止を前提とする、市民目線での原子力・;核防災と関連する環境、社会経済システムの研究と情報発信。

 



<参考>書評(エッセイ)(2012)

『原子力ドンキホーテ-原発の検査データ改ざん命令に背いた男の訴え』を読んで

 藤原節男氏の『原子力ドンキホーテ-原発の検査データ改ざん命令に背いた男の訴え』ぜんにち、2012年、をほぼ読了した。 


 内容概要としては、氏が独立行政法人「原子力安全基盤機構」(JNES)在職中の200934日に行った、泊原発3号機の減速材温度係数の検査結果が、正の値で不合格だった事、その検査結果の記載をめぐる記録の改竄命令、そして組織の対応をめぐる公益通報と、関連した問題提起である。 
 JNESは、私自身が昨年、原子力防災についての研究をしていた中でも、講師のお話を伺って、防災施設の管理を行ったりしている組織である事を知ることになった機構で、原子力行政の具体的業務について、重要な役割を占めている。藤原氏は、三菱重工業からJNESに赴いた、生粋の原子力技術者である。 
 そのJNESに在職されていた藤原氏が、なぜ、組織の命令に逆らい、公益通報や出版といった社会的な問題提起を続けているのか、それは藤原氏自身、主張されているように、原子力技術の管理運営に、不正や馴れ合いが横行していては、安全が守れない、という技術者としての倫理感だと思う。 
 藤原氏が、2011年の311日以前に、原子力安全委員会と原子力安全・保安院に指摘していた4つの問題点は、きっかけとなった泊3号機の不合格検査記録の削除命令について、問題を揉み消そうとしたJNESの組織の問題、そして、同様の公益通報があった1999年の敦賀2号機のフローパターン変動説の維持のためのデータ改竄、裏マニュアルに見られる、情報の秘匿、体裁の維持のための保安現場の実態の問題点等である。 


 全体を通じて、氏の主張は、原子力の推進を担う技術者としての、長年の経験から、失敗や欠陥を隠す組織原理の下では、どんな技術をもってしても安全な原発は維持できない、したがって、原発を推進したいとしても、これらの組織原理の根本的な入れ替えが必要だ、というご指摘であると私は感じた。 
 また、藤原氏自身は、原発の技術開発そのものについては肯定的だが、現状では脱原発しかない、としている。原子力の推進をしてきたが、脱原発派と共闘している、と述べられている点も興味深い。 


 私自身は、システムから利用可能エネルギーを対価なしに取り出せると示唆するいかなるエネルギーに対しても、懐疑的である。この点については、また氏の考え方を伺う機会があれば、と思う。エントロピー学会の井野博満先生のような技術の原理的限界を指摘する立場についても関心を持ってほしいと思っている。 


 藤原氏の著作『原子力ドンキホーテ』は、タイトルが示すように、巨大組織の原理に対して、個人の倫理、技術者としての誇りをかけて挑む、官僚組織化した電力産業及び規制組織の実態への鋭い批判と言えるだろう。せっかく作られた公益通報の制度が生かされないという問題点も重要な指摘だ。 
 著者の藤原氏に意見を提案しておくと、氏が指摘している、誤りを認めない組織原理、技術を理解しない人材の問題は、「文系」の問題と言うより、与えられた判断尺度の上で良い評価を得ることが、すべての基準になっている「官僚制」の問題であり、文理の別という訳ではないと思われる。 


 また、技術が悪いのではなく、人が問題だという意見は、例えば「鉄腕アトム」のような原子力黎明期の作品にも見られる価値観だが、人が完全でないと制御できない技術は、そもそも人にとっては「悪い」技術なのではないか、とも思う。技術に進歩があっても、人とその組織原理は、ほとんど進歩していないのだから。 
 人の組織原理が進歩しないという点は、本当に困った問題である。これは、藤原氏の指摘する、原子力村における官僚組織化した規制組織や関係する研究者に見られるだけではなく、普遍的に見られると思う。自己利益によって簡単に操られる人間の集合が社会である、という問題である。 


 私自身は、ミクロな利益追求の合計により、経済現象を説明するという、新古典派の経済学を教えもするが、原則的には、それらの利益追求の結果が、自然環境の循環の範囲を超え、種々の問題を引き起こすと思っている。 
 ところで、おそらく、藤原氏が感じた、技術を理解しようとしない官僚組織は、利益があるかについては大変、理解が早いに違いない。それが、与えられた評価尺度の上で良い成績をとる、という、学校教育と官僚制度に共通した特徴であるから。 
 時に人は自己利益を超えた規範に従って行動することを選ぶ、氏の行動がその例だ。普段、これができる人は数少ない。しかし現在、脱原発を支持する人々の多くは、原発事故で死の危険を自覚して、目の前の利益にしても、あやふやで当てにならない物であったことを自覚した人が多いと思う。 
 これから、徐々に、より多くの人とともに、既成の秩序(与えられた評価尺度の下での自己利益追求)の壁を崩し、技術の倫理と市民生活の安定を実現できるよう、地域と国のエネルギー政策・供給体制を変えていかなければならないと思う。 以上、藤原節男さんの『原子力ドンキホーテ』の読後感でした。 


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2014-02-25 更新
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